le 13 novembre 2015

頭や心の中のもやもやを言葉にすることができず、しばらく更新ができなかった。
2015年11月13日の金曜日の出来事。
何もなかったようにはできないので、まとまらないけれど書いてみる。小さな独り言。

 

14日の朝7時頃、ベッドの中でiPhoneを手にし、
なんとなくtwitterのトレンドワードを見ると paris の文字。
そこからたくさんの記事を見た。

あの直後パリではなるべく外出を控えるようにと言われる中、すぐに行動を起こす人々が多くいた。
キャンドルなどを手向けに被害のあった場所を訪れる人々。
銃弾の跡をお花をさして埋める人々。
病院に輸血をするために寒空の中何時間も列に並ぶ人々。
パリの人々の”表現をどれだけ大切にしているか”や、”強さ”を改めて思い知った。

あれだけの大きな出来事だったけれど数日後には学校やお店も再開し、交通機関も正常に戻ったという。
レストランやカフェのテラス席はどうなるのだろうと思っていたけれど
テロに屈しないという表現をするためにも、パリの人々はテラス席で”今まで通り”過ごしているとのこと。

 

今回、パリでの出来事は世界中のメディアで報道されたけれど、
それと同時にツイッターなどのSNSではパリだけが特別扱いをされているのではとの疑問も多く見られた。
シリアに住む女性アナウンサーのこのツイートに全てが集約されている。

「敬愛するパリよ、貴女が目にした犯罪を悲しく思います。
でもこのようなことは、私たちのアラブ諸国では毎日起こっていることなのです。
全世界が貴女の味方になってくれるのを、ただ羨ましく思います。」

 

知らなくてはならない現実のほんの一部しか私たちは知らない、
という事を今回の件で多くの人が知ったと思う。
亡くなった家族や友人にお花を手向けに行くことすらできない場所がこの世界には今もある。
当たり前の事だけれど人間の命の重さや、大切な人を失ったことで感じる周りの人々の哀しみの深さは
大小を測ることも比べることもできない。

 

小学3年生の時、親の仕事の都合でメキシコに引越し3年間暮らした私が当時感じた2つの事を思い出した。

-どうして同じ”人”なのに環境がこんなにも違うのか-
治安の悪いメキシコでいろんなものに守られて生活していた私が
車の中にいながら次々と窓をたたいてお金をもらいにくる物乞いの人々を見て感じたこと。

-“知ろう”としないと一生知らずに生きていく事が世の中にはたくさんある-
経済的な貧富の差を目の当たりにして思ったのは、自分が”知る事ができる環境”にいる事への感謝と、
それには意味があるのではないかと幼心に思った。
日本で暮らし狭いネットワークだけで生きていたら感じなかった気持ちを
小さなころに感じる事ができたということが、旅をし続ける私の根本にある。

 

メキシコで暮らした3年間に感じた想いから、大学では国際政治を学び
グローバルな企業に就職をしたけれど、私が世界に与える影響なんて全然ないのが現実。

だけど、今回の事で”知ること”の大切さを改めて実感した。
そして、それを”伝えること”も。

テレビを見ていても情報は限定されていたり、脚色されていたりするから
インターネットで国内外問わず自ら情報を探しに行こうと思う。
そして、色々な手段で周りの人に伝えていきたい。

 

やっぱり頭の中がもやもやしているから文章もまとまらないのが悔しいけれど、
また少しでも考えることがあったら独り言をここにつづりたいと思う。

世界中で罪もなく命を奪われた方々への哀悼の意と
大切な人を亡くしてもなお、懸命に生きる方々に少しでも早くやすらぎがもどるように願いを込めて。

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