甘栗と、おじいちゃん。

私は、小さい頃の記憶があまりない。

というより、大学生の頃の記憶さえ薄れている。

友達から心配されるほど、色々な思い出を忘れてしまいがち。

脳の検査をしたことはないけれど、ちょっと不安になるくらい。

 

そんな私だから、今の気持ちを綴っておきたいと思った。

甘栗と、おじいちゃんのこと。

今日、大好きだったおじいちゃんとお別れをした。

 

もう私は31歳という立派な大人の年齢だから、

”祖父”と書くべきなのだろうけれど、私にとっておじいちゃんは”おじいちゃん”。

だから、そう書こうと思う。

 

足が動かなくなってしまったおじいちゃんは、ここ数ヶ月、施設にいた。

そこから急に病院に運ばれたのは、水曜日のこと。

その時は大丈夫で、私は日曜日にお見舞いに行く予定だった。

けれど金曜日の夜に急変し、誰も最期を看取ることが出来なかった。

友人と出かけていた私のことを気遣い、母が私にその事実を告げたのは土曜日の夕方のことだった。

 

その日は父の誕生日だったので、渋谷で父の好きなたねやの最中を買い

両親と会う夜の予定まで家に帰ろうとしていた時に、母からの連絡。

すぐに夫に電話をし、人目をはばからず声を出して泣いた。

渋谷の人混みがスローモーションに見えたし、あまり頭が働かなかった。

しばらくぼーっとしてから、私が向かったのはスクランブル交差点にある甘栗やさん。

おじいちゃんと私は、甘栗が大好きだった。

 

私の実家とおじいちゃんの家は、電車で1時間ほどかかる場所にあった。

しょっちゅう会っていたというわけではないし、最初に書き記した通り、私の記憶はあまりない。

そんな中で私が1番に思い出すのは、甘栗の皮を私のために剥いてくれているおじいちゃんの姿。

おじいちゃんは何故か親指の爪だけいつも伸ばしていて、

私に甘栗の皮を剥くために切らないのだと、小さい頃の私は当たり前のように思っていた。

その日私は、主人に甘栗の皮を剥いてもらった。

 

次に思い出すのは、車で駅まで迎えにきてくれるおじいちゃん。

小学生の頃家族でメキシコに住んでいた時、兄と私だけ夏休みに日本に帰国することが何回かあり

おじいちゃんとおばあちゃんにいつも面倒を見てもらっていた。

高校生の頃、私が逆の電車に乗ってしまって終電がなくなり

おじいちゃんに少し遠い駅まで迎えにきてもらったこともあった。

口数が多い方ではなかったと思う。けれど、いつもおじいちゃんは優しかった。

 

大きくなってからは、家に遊びに行く機会はとても減ったけれど

よく新宿でご飯を食べていた。

ご飯を食べた後、京王百貨店の地下にあった立田野という喫茶で甘いものをたべるのが私たちの定番コース。

おじいちゃん、おばあちゃん、母と私。

いつからかそこに、私の主人が加わったりもした。

もう耳はその頃からあまり聞こえていなかったのだけれど、

なぜかおばあちゃんの言葉だけは聞き取るので、いつもおばあちゃんが通訳をしていたな。

好みの量をかけるように別添えされた黒蜜を、勢いよく全部かけてペロリと食べる二人を見て

母や私の甘党は、おじいちゃんとおばあちゃんの遺伝だなと確信した。

 

カラコンしているの?とよく聞かれるほど茶色い私の瞳も、おじいちゃん譲り。

私がお花が好きなのは父譲りかと思っていたけれど、おじいちゃんも植物が大好きだったことを思い出した。

よく、玄関にある植物を眺めていたっけ。

 

おばあちゃんは、アルツハイマー病を患っている。

今日おじいちゃんとさようならをするまで、おじいちゃんの死を理解できていなかったのかもしれない。

今日1日の間でも、何度もその事実を忘れてしまい、何度も悲しんでいた。

何にもしてあげられなかったから..と涙を流すおばあちゃんを見て、涙を我慢することはできなかった。

おばあちゃんはもちろん、私の母や叔父のこともとても心配だ。

大切な家族の死は、誰もがむかえることで、誰もがなんとかのりこえていくものなのだろう。

 

悲しみや寂しさも多くあったけれど、今日の最後におばあちゃんが

こうやって家族みんなで久しぶりに集まれてよかったと、笑顔で言っていたことに救われた。

その時のおばあちゃんは、おじいちゃんがお空にかえっていったことを、もう忘れていたのだと思うけれど。

 

おじいちゃんは90歳で、脳はしっかりとしていたけれど、目も耳もほとんど機能していなかった。

足も動かず、帰りたかった家にも帰れなかったので、長く生き過ぎたと嘆いていた。

だから、きっと今頃安らかな気持ちで私たちを見守ってくれているのだと思う。

 

私は最後におじいちゃんに、甘栗むいちゃいましたをプレゼントした。

おじいちゃん、安心してね。

もう皮が剥かれている甘栗も売っているし、皮を剥いてくれる人も隣にいるよ。

そんな気持ちを込めて。

 

大きな悲しみも、意味のないものは何もない。

私は改めて家族の大切さや感謝の気持ち、”今”や”自分”を大切にすることの意味を学んだ。

そして何より強く感じたのは、母の偉大さ。

 

私が落ち込んでいることを知り、翌日、母は私の大好きな手料理を作って実家から持ってきてくれた。

比較するものではないけれど、私より母の方が喪失感は絶対に大きいはず。

なのに、そんな時でも母は子供のことを考えて行動してくれる。

そういう人なのだ。

改めてその優しさと強さに、私もこんな母親にいつかなりたいと思った。

 

そして、こんな母親の両親である、おじいちゃんとおばあちゃんに改めて感謝をした。

子供は親を選べないなんていうけれど、選べたとしても私はこの家族が良い。

 

しばらくは涙腺がゆるいかもしれないし、

一人になると思い出してさみしくなることもあるかもしれない。

だけど、ありがとうの気持ちを抱きしめながら、今を精一杯生きていこう。

大切な人を目一杯、大切にしよう。

 

おじいちゃん、見失いがちだけどとても大切なことを思い出させてくれてありがとう。

これからも、見守っててね。
2018-07-14 13-37-06

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