日本には同じ名前の寺院が複数ある。
Google Mapで「毘沙門堂」と検索すると、美しい紅葉で知られる山科駅の毘沙門堂の他にいくつかの毘沙門堂が該当する。
私が待っていた人は、奈良県付近にあるもう一つの毘沙門堂へと向かっていた。
結局二人が山科駅付近の毘沙門堂にたどり着いたのは、太陽が落ちかけてきた15時過ぎ。
そんな太陽が作り出してくれた光と影がとても美しくて、思わず息を飲んだ。
少し時間が違ったら、青空のもと美しい紅葉を見ることができなかったかもしれないし、
もっと多くの人に埋め尽くされて、マイナスイオンを感じることができなかったかもしれない。
毘沙門堂のイメージとして頭にあったのは、もみじが敷き詰められた階段。
そんな階段は見ることが出来なかったのだけれど、
風の冷たさと太陽の温かさ、木々の間からこぼれる木漏れ日の美しさに心が動かされ、”敷もみじ”の事は忘れていた。
転ばないように気を付けながら階段を登り終えると、違った角度から見える太陽と紅葉が待っていた。
造られたものはいつも変わらないけれど、自然は常に変化している。
だからこそ、こんなにも美しい自然を目にした時
もう二度と”同じ場所で同じ人と同じように”この景色を見ることはできないのだなと思い、少し切なくなってしまうのは私だけなのだろうか。
カメラを構えずに見ると、ただただ美しいなと感じるだけかもしれない。
けれどフィインダー越しに眺めると、
「この木の根はどれほどのストーリーを眺めてきたんだろう」だなんて妄想に浸ってしまうことも。
階段を登り終えると、本堂が待ち構えていた。
抜けるような青空との、気持ちの良いコントラスト。
本堂周辺にも、美しい木々がたくさん。
散ってからも美しい植物なんて、あまりない気がする。
京都の市内中心部から電車でたった20分なのに、ここは穏やかな時間が流れる大自然。
すっかり癒された私たちは、再びこの急な階段を下りることに。
心身ともにリフレッシュし、軽々とした足取りで駅へと戻る。
見えてくるのはこんなにものんびりとした穏やかな街並み。
東京にいると、こんな風に街中で大自然を感じることはなかなかできない。
自然と笑顔になるような清々しさで、次の目的地へと向かうことにした。
さて、毘沙門堂を訪れたことのある人なら気が付いているだろう。
どうやら私たちは紅葉シーズンの毘沙門堂の最大の見どころでもある「敷もみじ」の階段を見ずして帰ってきてしまっていた。
「そうだ、京都へいこう。」のポスターにもなっていた毘沙門堂のきれいな景色は、勅使門に続く階段。
そんなことに気が付かず、私たちは仁王門へと続く階段を上り下りするだけで満足してしまったのだ。
そのことに気が付いたのは、たった今。
でも、満足するほどの美しさがここにはあった。だから後悔はまったくない。
お気に入りの寺院に出会うことが出来たので、またいつの日か再訪した時に「敷もみじ」に出会い
その時に更にこの毘沙門堂を好きになれたら良い。
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京都府京都市山科区安朱稲荷山町18番地
Tel.: 075-581-0328
最寄り駅: 山科駅 地下鉄東西線/京阪/JR